2009年に六本木のまちで産声を上げた「六本木アートナイト」。2003年に六本木ヒルズ、2007年に国立新美術館と東京ミッドタウンが誕生し、まちの景色がドラスティックに変化していくその渦の中心で、“六本木=アートのまち”のイメージの醸成・定着を後押ししたイベントといえるでしょう。「六本木アートナイト」はその名の通り、日中から日没後のナイトタイムまで一日の時間の変化とともにアートを楽しむことができ、施設内だけではなく、屋外空間も含めたまち全体にアートが点在して展開される回遊・周遊を前提とした開催形式が大きな特徴です。まちの至る所でアートの雰囲気や祭りの祝祭感が感じられることで、アート好きはもちろん、普段アートにあまり関心がない人々や展覧会に足を運ぶことに高いハードルを感じている人々にも、気軽にアートと触れ合って楽しんでもらえる工夫が随所に凝らされています。
2025年度の「六本木アートナイト」は昨年度から引き続き「都市とアートとミライのお祭り」をテーマに、9月26日(金)〜28日(日)にかけて開催されました。50以上の多彩なプログラムが六本木のまちに展開され、多くの参加者で賑わいを見せました。今回のレポートでは、「六本木アートナイト」に多様な人々の参加を促すための環境を整える取り組みに長年携わっている実行委員会の事務局長・三戸和仁さん、山里真紀子さんをお招きし、そうした環境醸成に寄与する中心的プログラムである「インクルーシブ・アート・プログラム」に着目して、六本木アートナイトの包摂性、多様性、創造性の広がりを深掘りします。

芸術祭をめぐる様々な“バリア”をなくしたい
「六本木アートナイト」は立ち上げ間もない時期から、日本各地の芸術祭が抱える課題の一つである、参加に至るまでの“バリア”に着目し、できるかぎり“バリア”をなくそうという試みを積み重ねてきました。
「“バリア”と一言で言ってもその形態は様々。たとえば障害や子育て・介護のために会場に足を運びづらい、回遊しづらい、家から出られない、といった物理的・精神的なバリア、言語の違いによって情報が十分に届かないといった言語的なバリア、さらにはアートに特段関心がない無関心層の特に若者にいかに興味を持ってもらうか、といった関心のバリア。芸術祭を知る、触れる、体験する際に想定されるバリアを多角的に想定し、絶対的な答えが存在しない中で、都市における芸術祭としての特性を踏まえて、課題に応じた数々の対応策を試行してきました」(三戸さん)
なかでも、物理的・精神的なバリアに対しては、森美術館が先行して取り組んでいたパブリックプログラムの取り組みがプログラム開発のヒントとなったといいます。
森美術館では以前から、物理的・精神的なバリア(障害や心理的な壁)を取り除くためのパブリックプログラムに力を入れていました。その代表的な例が「手話ツアー」や「耳でみるアート」など、聴覚に障害のある方も楽しめる美術鑑賞の機会を提供する取り組みです。
「六本木アートナイト」は屋外で行われる都市型芸術祭ですが、森美術館のこうした取り組みを参考にして、誰もが参加できるインクルーシブ(包摂的)な鑑賞の形を探っていきました。

みんなで一緒に芸術祭を楽しむためのアイディア「インクルーシブ・アート・プログラム」
2025年の開催では、「インクルーシブ・アート・プログラム」は「鑑賞ツアー」と「オンライン鑑賞会」の2本立てで実施されました(企画協力:NPO法人エイブル・アート・ジャパン)。
2018年から形を変えながら継続して行われているのが、「鑑賞ツアー」です。
「2018年頃は、六本木のまち全体に展開される芸術祭のアートプログラムを、どうしたらバリアフリーに回れるだろうか、というルート開発が主なテーマでした。狭い道や坂道で入り組んだ路地裏、車通りの多い道、といった六本木ならではの地形や交通条件の特性を踏まえて、安全に回れるルートを考えたり、雨天時の代替ルートを検討したりしました」(三戸さん)
「当時詳細なリサーチと実証を行なって得られた知見と開発した鑑賞ルートは、今でも『六本木アートナイト』の財産として受け継がれているんですよ」(山里さん)

近年では、開発されたルートをベースに、障害やその他の物理的・精神的な事情があってもなくてもみんなで一緒に楽しめるような鑑賞のあり方を考えたい、という想いで、毎年様々な試みがなされています。2025年開催では「からだとことばでひらいて楽しむ鑑賞ツアー」と題して、3種類のツアーを実施。ファシリテーターとともに言葉を超え、身体を使って、違いを生かしあう対話を通して、作品の楽しみ方をひらいてみることに主眼が置かれたプログラム構成となりました。

また、コロナ禍をきっかけに始まった「オンライン鑑賞会」も、遠方で会場まで足を運ぶハードルが高い、家から出るハードルが高い、芸術祭に興味はあるが様子がわからないと出かけづらい、といった方々にとって、自宅から芸術祭の様子を体験できる気軽なアクセスポイントとして、好評を博しています。
「たとえば視覚に障害のあるファシリテーターが担当するオンライン鑑賞会では、対話型鑑賞の形式を採用し、参加者が作品を見てファシリテーターに作品の様子や作品から得られた印象を伝え、ファシリテーターが広がりのある質問を投げ返すことで、お互いの鑑賞体験を深め合う効果が得られました。みんなで同じものを見て、それぞれの異なる想いを言葉にすることで、一人では到達できないような発見や気づきが共有され、豊かな場が生まれるのが面白いポイントです」(山里さん)
2025年開催では、「おばんです〜!ふとんの国から六本木アートナイトを楽しむぴあっとごろごろ鑑賞会」と銘打って、あえてふとんやソファでゴロゴロしながらリラックスした状態で、参加者同士がゆるくおしゃべりしながら作品について対話したり、現場の様子を生中継でのぞいてみたり、少人数で穏やかな時間が共有できたそうです。
当事者視点で安心できる環境醸成と、当事者視点の共有が生み出す唯一無二の鑑賞体験
「六本木アートナイト」の「インクルーシブ・アート・プログラム」の根幹を支えるのは、徹底的な”当事者視点”に基づくプログラム開発のあり方です。
「鑑賞ツアーのルート開発については、当初から車椅子ユーザーが参画し、当事者が課題に感じる点、周遊しやすさに寄与する点を率直に開発チームに共有したことで、実態に即した鑑賞ルートが実現できました。」(三戸さん)
「毎年鑑賞ツアーを実施する際には、様々な障害を持つファシリテーターが参画し、それぞれの視点から、作品の特性を踏まえて、たとえば音が大きく感じられる可能性がある、光を強く感じられる可能性がある、など実際のツアー時に懸念される課題・留意点を予め想定し、近い感覚を持つ参加者がバリアを感じることなく安心して心地よく鑑賞体験を得られるようにシミュレーションを行っています」(山里さん)

そうした心配事の事前解決だけにとどまらず、ファシリテーターがそれぞれの個性を活かして、どうやったらみんなで一緒に楽しめるか、のアイディアを提案していくことで、「鑑賞ツアー」が唯一無二の芸術祭体験へと進化していきます。
「たとえば手話を主に使用するファシリテーターがいざなう鑑賞ツアー『視覚コミュニケーションで楽しむ鑑賞アワー』では、作品を見て感じたことをジェスチャーや表情、身体の動きで表現してみよう、といったテーマを設定したり、車椅子ユーザーがファシリテーターとなる鑑賞ツアー『異なる視座で楽しむ鑑賞アワー』では、作品を見る視点の高さの違いによって作品が違って見えるだろうか、という問いを投げかけたり。精神障害のあるファシリテーター2名による『オンライン鑑賞会』では、作品を見て参加者が感じたことや妄想したことをみんなでシェアしてみる、という試みが大いに盛り上がりを見せた回もありました」(山里さん)

どんなファシリテーターと一緒に、そしてどんな参加者たちと一緒に鑑賞するかによって、見える世界が違ってくるのが「インクルーシブ・アート・プログラム」の面白いところ。「六本木アートナイト」の公式ホームページでは、ファシリテーターの紹介が詳しく掲載されているので、自分が参加するとしたらどんな体験ができるだろうか、と考えられるヒントになります。
正解がないからこそ、色々な人を巻き込んで、
様々な視点を取り入れ、考え続け、試し続ける
「インクルーシブ・アート・プログラム」が始まって今年で8年目。何より大切に続けていることが、実際にプログラムに参加した人やファシリテーターからのフィードバックであり、そこから見えてきた次に取り組むべき点や改善すべき点に正面から真摯に向き合い、プログラムのアップデートを繰り返してきました。
毎年新しいことにチャレンジする中で、2025年開催では1対1のフルオーダーメイド型の鑑賞ツアーと、センサリーバッグの貸出を初めて実施しました。
1対1のフルオーダーメイド型の鑑賞ツアー『はじめての六本木アートナイトを安心して楽しむ鑑賞アワー』は、ミュージアム・アクセス・パートナー(*)と1対1で巡るゆったりとした鑑賞ツアーで、視覚障害のある参加者2組、発達障害のある参加者1組のツアーが実現しました。
「まず事前に参加者とオンラインツールで顔合わせを行い、見たい作品を聞いてルートを計画したり、カジュアルな対話を通してファシリテーターとコミュニケーションを図ってもらったりと、実際に会場に足を運ぶ前に、参加者に安心感を持って参加してもらうための準備段階の工夫に特に力を入れました。その甲斐あってか、参加者からは、落ち着いて安心して芸術祭を楽しめた、と好評をいただきました」(山里さん)
(*)ミュージアム・アクセス・パートナー
NPO法人エイブル・アート・ジャパンが運営する「みんなでミュージアム」プロジェクトに参加するサポーター。障害の有無を問わず活動するパートナーたちは、アートの専門家ではなく、参加者と同じ目線で一緒に歩み、「一緒に楽しむ」ことを大切に、対話を通してミュージアム体験をサポートしている。

センサリーバッグは、「六本木アートナイト」の鑑賞にあたり、大きな音や光の点滅に不安がある方に対して、イヤーマフ、サングラス、センサリートイなどを入れたバッグをレンタルするサービスとして実施されました。

「鑑賞ツアー参加者の中で活用された場面では、実際にバッグの中身を使用する状況にはならなかったものの、『ツアー参加中にお守りがわりに持っていることが安心感につながった』と好意的な感想をいただきました。また、六本木ヒルズ総合インフォメーションでも当日貸出受付を行なったところ貸出希望が数件寄せられまして、一定の潜在ニーズに応えることができた試みとなりました」(山里さん)

模索し続けることは、進化し続けること。そうした終わりのない可変的でアグレッシブな営み自体が、「六本木アートナイト」が根源的に持つ包摂の思想であり、多様性やそこから生まれる思いがけない創造性を受け止め包み込む深み・豊かさを体現しているといえます。参加したいと思った人が“バリア”なく参加できる環境を当たり前にするためには、正解がないからこそ、多くの多様な視点に基づく実体験をもとに、考え続け、試行し続けていくこと、そしてその過程で各人が気づき発見していくことの積み重ねが、開かれた鑑賞体験を形作っていくのでしょう。
文:前田真美
「六本木アートナイト2025」
- 開催時期:2025年9月26日(金)~28日(日)
26日(金)18:30~22:00、27日(土)13:00~22:00、28日(日)13:00~20:00
※プログラムによって展示時間が異なります。
※一部作品は長期展示あり[~10月5日(日)] - 開催場所:六本木ヒルズ、森美術館、東京ミッドタウン、サントリー美術館、21_21 DESIGN SIGHT、国立新美術館、六本木商店街、その他六本木地区の協力施設や公共スペース
- 主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、港区、六本木アートナイト実行委員会【国立新美術館、サントリー美術館、東京ミッドタウン、21_21 DESIGN SIGHT、森美術館、森ビル、六本木商店街振興組合(五十音順)】
